2009年06月16日

趣味は観劇など少々・・・

江戸の青空〜Keep On shackin'〜」観劇記のつづきです。


芝居とは、生身の人間が目の前で演ずることだ。
生身だから寸分の狂いもない再現なんてできない。そんな1度きりのはかない存在を愛でるのが観劇。大量生産のできない一品物。この贅沢はやはり貴族の特権かもしれない。

そして、この生身の人間が演ずる点が芝居のいちばんの醍醐味である。
どんな映画もテレビドラマも、予定された以外のハプニングは起こりえない。芝居は違う。

先日観た「江戸の青空」も、松尾貴志を筆頭としたアドリブか台詞かわからないやりとりや、小道具が壊れるハプニングなどあって、そういう危うさが魅力のひとつだった。
実際、小道具が壊れたハプニングなどがあり、そのあとの「マ、マリちゃーん」「明日の昼までになおしといて」「誰だよマリちゃんて」(たぶん小道具のスタッフ)的な焦ったり苦笑したりのやりとりが、とってもおもしろかった。どんな不測の事態も演出として取り込む役者のすごさを垣間見た。

実はハプニングと見せかけた演出なのかもしれないが、一度しか観ない僕には本当はどうかわからない。しかしたとえ演出でも、それを本当として消費できるのが芝居のいいところだ。

映画やテレビドラマはどんなに尖って見えても、所詮事前の編集や映倫等の承認を経たものである。予定調和だ。

芝居は、舞台芸術は、どれだけお偉方が制御したって、舞台に出たら役者に任すしかない。裸になろうが人を殺そうが、抑えつけられる瞬間までは公衆の面前で遂行される。これほどの無謀があろうか。そりゃあ目が離せないって。

だから芝居を観ているとき、舞台の外のことまで気が回らない。余計なこと考えてると何かが起きたとき見逃しちゃうよ。何かが起こりうるのが芝居なんだから。
逆に映画やテレビは安全なことしか起こらない。安全なんだから観る側は観てる最中も余裕がもてる。おまけにカメラで役者の顔のアップなんかも多用される。すると役者自身のイメージが役柄に影響しやすくなる。
そういうわけで素顔や私生活の提供が芸能人の重要な仕事となる。トーク番組とか旅番組、ワイドショーが安泰なわけだ。

私は役者のプライベートとか一切どうでもいいと思っている。だって仕事の話やよ。
演技が上手かろうが下手だろうが、でもこんなに一生懸命なんだからいいじゃない。でも実はいい人だし。って知らねえし。私が見たいのは演技の結果作り上げられるドラマであり芝居だ。人柄など二の次だ。
プライベートを仕事に持ち込むのは卑怯だとすら思う。持ち込みたくなくても暴かれたりする人もいるのか。そっちはゴメンナサイ。

役者って本当にすごい。特に舞台俳優は毎日危うい橋を渡っているのである。何が起こるかわからない毎日。そう役者って冒険者たち。いやん、格好いい。そりゃあ所得多くていいよ。危険手当だ。
芝居はいつだって命懸け。いつだって真剣勝負待ったなし。他人の崖っぷちを鑑賞するという観劇というこの芸術、実はとんでもなく野蛮な娯楽かもしれませんねマダム。

でも他人の野蛮を高みから鑑賞するというのは、やっぱり貴族の特権だボンヌ。


↓お慈悲を
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タグ:舞台
posted by ごん at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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