2013年05月20日

その出会いは偶然なんかじゃ……ない

■阪急電車 片道15分の奇跡 (2011)
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有川浩

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★★★★☆

映画「かいじゅうたちのいるところ」の嫌女流っぷりに気が滅入っちゃったあとすぐ観た影響もあるだろうけど、「阪急電車 片道15分の奇跡」、よかったー。

女性がカッコイイんだ! 逆に男はどうしようもないわけだが。
自分の彼女の後輩とデキて婚約中の彼女と別れる男とかDV野郎とか、物語上重要な役回りの男ほどろくでもない。善意の男性もいるけれど、彼らは物語の進行に(例外はいるとはいえ)たいした影響を及ぼさない。男ってなんだ。

この映画は片道15分の小さなローカル路線で繰り広げられる人間関係の連鎖を描く。
たまたま居合わせた<老婦人>に悩みを打ち明けて過去を吹っ切る<彼氏寝取られ女(中谷美紀:きれい)>がいたり、その会話を見聞きしたおかげでDV男と別れる勇気をもった<女子大生(戸田恵梨香:かわいい)>が、今度は自分が暗い表情の<主婦>の悩みに耳を傾けたりする。またこの<主婦>の知人が後に<老婦人>と関わったり・・・。そのほかたくさんの人間同士の物語が同時進行し絡み合う。

劇中の本人同士は偶然出会ったように感じていても、僕たち映画の観客はそれが必然だとわかる。都合のいい展開だと思わなくもないが、同時に現実もこんなもんだよとも思う。

「阪急電車」では、こうした偶然で必然の出会いが、ほぼすべて女性を介して行われる。しかも。すべてがいいほうに転がっていく。
劇中でフィーチャーされる女性達に悪い人はいない。悪い<とき>はあるのだけど悪<人>ではない。
反省や節度があり、強いが孤独に甘んじず他者との関わりを拒絶しない。骨はあるが聞く耳をもつ。みんな凛としている。なんという女性賛歌だ。映画「かいじゅうたち・・・」とは大違いだ(笑)

さて、ここで映画のキャッチコピーに着目したい。
「その出会いは偶然なんかじゃ……ない」
これって「鋼の錬金術師」(マンガ)が最終回を迎えた当時、押し寄せる感動とともに僕が抱いた感想そのものやんけ。「ハガレン」ほど偶然という必然を描いた作品を僕は知らない。

「ハガレン」では、主人公も脇役も、すべての登場人物たちが行った行為、それは伏線と呼ぶにはあまりにも些細なたくさんの事柄だったのだけど、実はそのすべてが、物語の終幕のために必要なパーツだったのだ。どれかひとつ欠けても、あの最終回にはなり得なかった・・・!!

主人公エドワード・エルリックの師匠イズミ・カーティスの言葉「一は全、全は一」のとおり、「ハガレン」では世界のすべては関連し合っているということを描いたマンガだった。それは言い換えれば、すべてに意味があるということだ。

もちろん僕らの「現実」だって同じだ。すべてに意味がある。
どれほど大きな装置もネジ1本欠けたら破綻してしまうように、宇宙の営みはあとから振り返れば、すべてが必要なことだったとわかるようになっている。
だからタイムトラベルものでは、「過去では葉っぱ一枚踏んではならない」。

どんなつまらない人間ですら、世界が今の形で存在するためには欠かざるべきパーツなのだ。逆に、今の僕は「未来をつくるパーツ」だと自覚すれば、きっと日々の行動は変わる。
偶然という必然を描ききった「ハガレン」の最後は大団円だ。そして同じく偶然という必然を描いた「阪急電車」の、もうひとつのキャッチコピーは「『終着駅は、きっと笑顔。」である。

「阪急電車」には「ハガレン」と同じ希望をカンズル。
「物語の進行に影響を及ぼさない」男なんて、本当はひとりもいないってことなんだ。男だって未来のためのパーツやー!。 男万歳!!
いつだって未来は僕らの手の中やー。最後はカイジかよ。(またマンガ)


↓袖触れ合うも他生の縁。出合いは必然です。だから押(後略)
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posted by ごん at 20:04| Comment(1) | TrackBack(0) | ┣ 映画 (DVDなど) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
士ねウンコ
ネットを拙い論評で汚すな
Posted by あ at 2014年10月26日 06:37
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